1980年代、女性アイドルの黄金期に大映ドラマ『ヤヌスの鏡』(フジテレビ系)で大ブレイク。以後、女優のみならず歌手やパチドル(パチンコアイドル)、雑誌のヌードグラビアなどにも挑戦してきた杉浦幸(48)。来年からはペットグッズのネット販売を本格化させるなど実業家としての顔ものぞかせる杉浦が、今だから話せるアイドル時代の“とんでもエピソード”を暴露する。
──80年代アイドルといえば、本人の意志とは裏腹にキャッチフレーズが付けられ、清楚なイメージが作り上げられていたように思いますが。
「私もそうでしたよ。人見知りでいつも周囲の大人に警戒心を持った目つきをしていたからという理由で、キャッチフレーズは『あ、まなざし』。おとなしくて陰のある設定でした。その型にはめられたアイドル像が当時は苦痛で仕方ありませんでした。
テレビや雑誌のインタビューでも、本当は焼き鳥が好きなのにチョコレートパフェが好きと言わないといけなかったり、オフの日の私服ですら、大人びた黒や赤の服が着たかったのに、パステルカラー以外の服やロングスカートは着ちゃいけなかったりとか。化粧品の種類や髪型まで決められていました」
──昔のアイドルはトイレにも自由に行けなかったと聞いたことがあります。
「テレビ局内のトイレは事務所スタッフやタレントも使うので大丈夫でしたが、屋外でイベントなどがあった場合は、一般のファンも入りますし『アイドルがトイレに行く』というイメージ自体がNG。常に清らかで神格化されたアイドル像があったんです。『お前はショーケースの中のケーキだから、自分の意見はいらない』とはっきり言われたこともありましたね(笑い)」
──『ヤヌスの鏡』で一躍スターになったので、余計に戸惑ったのではないですか?
「実は、あのドラマ中は睡眠時間が1時間とか2時間しかなかったので、オンエアーをほとんど見ていないんです。だから、自分の知名度がどのくらい上がったのか把握できていませんでしたが、その後、歌番組に出演するようになって、『あれ、こんなに私を応援してくれる人がいるんだ』と驚きました。
当時、人気のバロメーターだった“親衛隊”もたくさんいましたしね(笑い)。事務所公認で、地方イベントでも、私の乗る新幹線のホームにずらりと並んで、いわば専属のボディガードみたいな存在でした」