長い時間がかかる辞書編纂の道のりについては、映画化やアニメ化もされた三浦しをんの小説『舟を編む』で広く知られることとなった。日本の代表的な辞書のひとつ『広辞苑』は1955年の初版から数えて62年、まもなく第七版が発売される。評論家の呉智英氏が、辞書を読むことの成果について解説する。
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新年の一月十二日、『広辞苑』の第七版が発売される。しかし、国民的国語辞典と言われる『広辞苑』も、発行部数が長期低落傾向にある。平成期に入ってからだけでも、第四版が220万部、第五版が百万部、第六版が50万部と、改版ごとに半減している。今回の第七版も30万部に達しないかもしれない。
確かに、若者たちが辞書を読まなくなった。『広辞苑』もどれだけの若者が読んでいるだろう、高齢世代である私だって、偉そうなことは言えない。まだ一回しか読んだことはない。まともな知識人なら、改版が出るたびに読みなおすはずだ。
私が一回だけ『広辞苑』を読んだのは、二十代の終わりの頃だったか。読むはしから忘れていくので、やはりノートを取りながら読むべきだったと、一応読み終わってから反省した。
それでも通読の成果が少しはあった。まず、原編者・新村出(しんむらいずる)の序文が面白かった。普通なら「上記のように」とあるはずの文が「上記のごとく」、「こうして」とあるはずの文が「かくて」、「している」という文は全く出て来ない。あ、これは現代仮名遣いが嫌なのだな、と気づいた。「上記のやうに」「かうして」「してゐる」という歴史的仮名遣いが文部省によって禁圧されていることへの抵抗が、こういう序文になった。歴史的仮名遣いで書いても現代仮名遣いで書いても全く同じになる文章にしたのである。