安倍晋三・首相と加計学園理事長・加計孝太郎氏との親密さは、昭恵夫人がフェイスブックに公開した「男たちの悪巧み」なる2015年のクリスマスパーティの写真によって大きく取り沙汰されるようになった。そのパーティの主催者である増岡聡一郎・鉄鋼ビルディング専務(55)が、口を開いた。これまで知られることのなかった安倍人脈の本当の関係性が、明らかになる。(取材・文/森功=ノンフィクション作家。文中敬称略)
* * *
増岡聡一郎は安倍より8年若い1962年東京生まれだが、広島県の中堅ゼネコン「増岡組」創業一族の中で育ち、慶応大学経済学部を卒業している。卒業後にいったん三菱地所に入社し、改めて増岡組グループ入りし、経営に携わってきた。目下、鉄鋼ビル専務のほか、「増岡商事」や「ダック」の社長を務めている。
安倍本人とは学生時代の接点もない。が、首相を取り巻く二世、三世の資産家の中でも極めて近い存在だといえる。永田町や霞が関、丸の内界隈や首相官邸では名の通った人物だ。加計らと同じく、夫人の昭恵抜きでも河口湖畔のゴルフ場でラウンドする間柄でもある。
そんな増岡家の稼業ともいえる増岡組は、聡一郎の祖父にあたる増岡登作が1908(明治41)年に創業した。もとは広島県呉港を埋め立てる砂利業者で、とりわけ戦時中は旧海軍御用達の御用商人として飛躍的に業容を拡大させた。
もっとも終戦を迎え、多くの軍事企業が戦犯扱いされる中、増岡組は戦争責任を問われることなく、会社は温存された。それどころか登作は、戦後いち早く社業を軍従属会社から復興事業会社へと転じて政界とのつながりをますます深め、業績を拡大させていった。