【書評】『老愛小説』/古屋健三・著/論創社/2200円+税
【評者】川本三郎(評論家)
恋愛なんて青臭い若者に任せればいい。老年になれば恋愛は遠い日の幻想でしかなくなる。著者は昭和十一年生まれのフランス文学者。荷風好きで『永井荷風、冬との出会い』(朝日新聞社)という著書もある。
大学を定年退職したら小説を書きたいと思っていた。それが成った。大学の先生の小説だから生真面目な教養小説かと思いきや三篇ともに学者を主人公に、関わった女性たちとの性愛を描いていて意表を突く。
といってもよくある愛欲小説ではないし、生ま生ましい恋愛小説でもない。辿ってきた女性たちとの関係を、老いの現在の視点で見ている醒めた目がある。世捨人の諦念がどの作品にも流れている。
第一作「虹の記憶」は、フランス留学から戻った主人公が奈良の寺でたまたま会った女性と関係を持ち、そのまま三浦半島の山小屋のような一軒家で暮し始める。女性の正体は分からない。ある日、突然、現われたまれびとのよう。それなりに穏やかな日が続くが、ある日、女性は姿を消す。まるで実体のない女性はどこか「雨月物語」の幻の女を思わせ、現代の幽艷な奇譚になっている。