戦後の混乱から高度経済成長を経て、バブル景気で頂点を極めた激動の時代の中で、様々な商品やサービスが次々と生まれ、国民の消費意欲を大いに喚起した。当時の広告に目を向けると、生々しい息遣いが聞こえてくる。
日本唯一の広告ミュージアム「アドミュージアム東京」の学芸員・坂口由之氏が語る。
「広告は“時代を映し出す鏡”といわれます。時々の時代背景に応じた広告表現が生まれる。広告の歴史を紐解けば、人間と社会の関係が見えてきます」
戦後の広告を振り返ると、そこにはいつも美しい女性の姿があった。1950年代、“三種の神器”のひとつだった洗濯機の広告には、それまで女性が担ってきた家事の重労働を劇的に軽減するというキャッチコピーが躍った。また、別世界の存在として憧れる映画女優がポスターでニッコリと勧めるのは、かつてない新しい色味の口紅やドレスだった。「銀幕のスターと同じ商品を使う」という夢物語に似た感覚が、多くの消費者の心を捉えた。
その後、テレビが一般家庭に広く普及した1960年代に入ると、広告は飛躍的な発展を遂げた。各種メディアと連動しながら、商品の販促キャンペーンが激増した。
「最大の要因は、新聞、雑誌、ラジオ、テレビというマス4媒体が確立したことです。メディア中心の時代が到来し、広告のあり方も多様化していきました」(坂口氏)
象徴的な広告といえば、なんといっても前田美波里を起用した資生堂の夏用化粧品「ビューティケイク」。「太陽に愛されよう」をキャッチコピーに、それまで「色白が美人の条件」の社会通念を覆し、健康的な小麦色の肌を露わにしたポスターが話題を呼んだ。以降、モデルによる夏のキャンペーンというスタイルを取り入れる企業が急増、同時に海外ロケも一般化していった。