高校球界のスターにしか生まれない悩みだろう。三沢高(青森)時代に甲子園を沸かせ、近鉄入りした“元祖・甲子園のプリンス”こと太田幸司氏が自身の苦い経験を振り返る。
「僕は東北の片田舎から出てきたので、取材にも満足に対応できず『ハイ』と答えるだけだった。成績が落ちてくると話したことが自分の思っていることと違う方向で記事に書かれるようになり、口数も減ってしまった。清宮君は頭の良さでうまく対応できると思いますが、記者も温かく見守ってあげてください」
野球以外のところでつまずくことだけは、ないようにしてもらいたい。
※週刊ポスト2018年2月2日号