映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・鹿賀丈史が、劇団四季を離れて映画に挑戦してまもなく、『野獣死すべし』で松田優作の相手役を演じた当時について話した言葉を紹介する。
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鹿賀丈史は1979年に劇団四季を退団、活躍の場を映像の世界に移す。その第一作となったのが、1980年の松田優作主演映画『野獣死すべし』だった。
「四季で『カッコーの巣をこえて』に出た時に芝居の面白さに目覚めまして、映像もやりたいと思うようになったんです。ちょうどその時に黒澤明監督の『影武者』のオーディションがあったのですが、劇団のスケジュールと重なって受けられませんでした。そういうこともあって、劇団を離れて映画に挑戦してみよう、と。二十九歳の時に退団しました。
それで『野獣死すべし』の話をいただいて。松田優作さんというトップスターの相手役ですから、『ジーザス・クライスト=スーパースター』の主役に抜擢されたのと同じで、いきなり大きなチャンスに恵まれました。
あの時は怖いもの知らずでしたね。優作さんの芝居に自分なりに対抗しようとしていました。でも、優作さんはカメラさん照明さんから、全て自分に引っ張っていく。自分で作品を作っていく。そこは大俳優ならではです。自分でセリフも直していました。そういうのは舞台ではないことなので、驚きましたね。
優作さんと二人で芝居を作り上げる場面も多かったですが、『お前なりに好きにやれ』という感じでした。ただ、たまに『そういう芝居は損だからやめた方がいいよ』とボソッと言ってくださったり。そういう意味で、映画の新人を温かく迎えてくれましたね。自分が劇団四季で勉強してきたことを引っ張り出してもらったように思います」
翌1981年の篠田正浩監督『悪霊島』では主人公の名探偵・金田一耕助を演じている。