【書評】『京都学派 酔故伝』/櫻井正一郎・著/京都大学学術出版会/2000円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
京都大学の人文学をになった学者たちが、この本ではとりあげられている。酒の飲みよう、酒席での振る舞いに、叙述の力点がおかれている点は、類書とちがう。酒とのつきあいにこそうかがえる学者たちの資質を、書きとめようとする本である。
吉川幸次郎は中国文学研究の大家として知られている。ただ、酒癖は悪かった。からみ酒の気もあったらしい。たとえば、人類学者の梅棹忠夫も、その標的にされたことがある。文献学の吉川は、梅棹らのフィールドワークを、いっさいみとめようとしなかった。古典の読めないお前は馬鹿だと、毒づいたのである。まだ若かった梅棹も、しかしおじけずやりかえす。その場では、たがいの罵倒がつづいたのだという。
碩学吉川と新進の梅棹が、ののしりあう。いい話だなと、私は思う。京都大学の黄金時代を代表する英雄伝説として、私はこの逸話をうけとめる。今は、もうありえない話だなと、往時のかがやきをあおぎ見る気にもなる。
いっぱんに、「京都学派」の呼称は、戦前の哲学者たちへ冠される。しかし、当時の学者は、ほとんど酒をくみかわさなかった。専門の別をこえて飲むようになったのは、敗戦後の現象であるという。