音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、一昨年、がんで亡くなった兄弟子・柳家喜多八の噺を受け継いだ柳家三三(さんざ)の、40歳を過ぎてフレキシブルに演じたことで増した面白みについてお届けする。
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2009年3月から虎ノ門・JTホールで毎月開催されていた「J亭落語会」(サンケイリビング主催/JT協賛)が昨年12月をもって幕を閉じた。スタート当初は立川談笑の月例独演会だったが、2011年から立川志らく、桃月庵白酒、柳家三三の月替わり独演会となり、翌年志らくに代わって春風亭一之輔がレギュラー入りした。今回の幕引きは施設主の意向でJTホールの使用が不可となったためのもの。
最終回は三三の独演会。かつて三三と言えば「作品をきっちりと演じる若手」の筆頭だったが、40代に突入する前後からアドリブを交えてフレキシブルに演じるようになり、俄然面白みが増した。
1席目は乱暴者の八五郎に大家が中国の親孝行の故事を説く『二十四孝』。鯉を母に食べさせた王祥、筍を母に食べさせた孟宗、母を養うために我が子を埋めようとした郭巨、と話が進んだところで八五郎が「どこまで行っても『貧乏・ババァ・親孝行、貧乏・ババァ・親孝行』……『貧乏・大臣・大大臣』みてぇだ」と言ったのが妙に可笑しかった。
この噺、昭和の頃までは演じ手が多かったが、近年あまり聞かれなくなった。三三の兄弟子に当たる柳家喜多八の『二十四孝』は面白かったなぁ……などと思っていたら、三三の2席目は喜多八の専売特許だった『筍』。好物の筍が膳に出てくるのを「カツブシ掻いて待ってる」武家を演じる喜多八の悪戯っぽい表情を思い出す。この洒落た小品を三三が継承してくれたのは嬉しい。