親子関係はひとそれぞれだが、過去に「高校には行かせない。住み込みで中卒で働け」と父親に言われ、その通りにした経験を持つ女性セブンの名物還暦記者“オバ記者”こと野原広子。そんな彼女の父親はがんの終末期に。オバ記者が父親に対する複雑な思いを明かす――。
散歩ほど気楽でないけれど、ここのところ、人として通らなければならない道を歩いている、という気がしている。去年の秋から、がんの終末期を迎えている父親(83才)の見舞いに、毎週のように茨城の実家に帰ったり、病院に行ったりしているのよ。
年明けてすぐの頃まで父親は、「見ろ、こんなに痩せたんだ」とパジャマをめくって、ごぼうのような腕を見せていたけれど、今はベッドから起き上がるのもやっとだ。
◆大病院で「死んだっていい」と叫んだのに
事の始まりは、一昨年の秋、東京のわがアパートに新米を持ってやってきた父親が、「食べ物がのどでつっかえんだよ。何だっぺか」と、自分の胸をこぶしでトントンと叩いたこと。
その時の医者の見立ては、「胃がんのステージ2のB」で、全摘手術を勧められたけど、「手術はしない」の一点張り。
そう言われると、胃がんを切ったところで、他に転移していないという保証はないし、それより何より、80過ぎまで定期健診もしなかった“野生人”に、手術を強く勧めるのもどうか。それで、「思った通りにすれば」ということになったわけ。
とはいえ、父親も一度は、「手術して治るものなら…」と思い直したらしく、田舎の大病院へ行ったそうな。だけど、検査に次ぐ検査と、待ち時間が耐えられない。
とうとう、いくつかの検査をした後、ロビー中に響きわたる大声で、「病人をいつまで待たせんだッ。ふざけんな、バカ野郎。おれは死んでもいいんだ。ああ、帰っから」と医者にタンカを切ったという。
◆15才で住み込み店員になって、そこから高校へ
父親と私は一言でいうと“なさぬ仲”。私が3才、弟が1才のときに実父が急死し、その数年後にやってきた。さらにその数年後に下の弟が生まれて、その頃から父親と思春期の私の関係は目に見えて悪くなったの。