2月6日、眞子さま(26才)と小室圭さん(26才)とのご結婚に関する儀式がすべて延期されると発表された。時間的な余裕のなさが理由とされているが、小室さんの家族が抱える問題が様々な週刊誌に報じられたことも少なからず影響されているともいわれている。
初孫の結婚に灯った黄色信号に、美智子さまにも不安がよぎったことだろう。だが、美智子さまの心にはまた別の懊悩が降り注いでいた。
記録的な大雪から日も浅い2月1日、都心は再び厳しい寒さに覆われていた。冷たい雨が雪に変わろうかという夜8時過ぎ、皇居・半蔵門から白バイに先導された車列が滑り出した。警護車両に続いてゆっくりと進む車の後部座席で、美智子さまは口を真一文字に結ばれ、真っすぐ正面を見据えられていた。美智子さまがいつも私たちに向けられる柔和な面持ちとは違う、厳しい表情。車列はそのまま、東宮御所正門を通って赤坂御用地内へと消えていった。
「もともと公務や会食が予定されていての訪問ではなく、その日急きょ皇太子ご一家のところへ足を運ばれることが決まりました。いや、“雅子さまのところへ”といった方が正しいかもしれません。警備態勢を敷いたり交通整理などに対応しなければならないため、天皇陛下や美智子さまは気軽に皇居から外出されることはできません。両陛下もそれは重々ご存じです。にもかかわらず、美智子さまの強いご希望で、夕食後という異例のタイミングでの外出となりました。なんとしてでも、美智子さまが直接出向かなければならない理由があったということなのでしょう」(宮内庁関係者)
きっかけはご自身と、次の皇后を担う雅子さま、そして紀子さまに関する報道だった。
《霞が関を「紀子妃」に走らせた「美智子皇后」の「雅子妃」諦念》
その日発売された『週刊新潮』にそんな見出しが躍った。記事を要約すると、美智子さまは長年療養生活を続ける雅子さまに、宮中祭祀や園遊会、戦没者追悼式といった「皇后としてどうしても天皇と並ばねばならないお務め」だけを果たしてもらい、福祉や文化事業、教育関連の行事へのご出席は紀子さまに引き継いでほしいと明確に意志を示された、という。紀子さまに「皇后教育」を施すため、文部科学省や厚生労働省の官僚などが、美智子さまの手配で説明に上がっているともあった。
また、昨年12月に皇太子ご夫妻が出席された「障害者週間」の表彰式で、障害のある弟をもつ小学2年生の女子児童の作文に涙ぐまれた雅子さまに、「感情の表しすぎには気をつけましょう」と指導されたとも記されていた。