「あれだけのスポットライトを浴びた過去と、地道に取り組む現在とのギャップ。でも、彼女は天然で柔和な性格のようでいて、強い芯を持つ努力家です。“漢字が読めない女子アナ”なんて言われたこともありましたが、それがあったから漢字検定の準一級までとって、最近はクイズ番組で活躍していました。弱い自分、できない自分を認めず、前向きに進む女性なので、とにかく弱音ははかず、ポジティブだった」(前出の知人)
女子アナへの道は超のつく狭き門だ。とくに在京キー局ともなれば、数千倍の競争率を勝ち抜かなければならない。
「だから、女子アナたちはたくましいし、転んでもタダでは起きません。30才定年といわれても、スポーツ選手や大物芸人の妻として、報道キャスターとして、タレントやエッセイストとして、それぞれに活躍の場を見つけています」(放送作家の山田美保子さん)
そんな彼女たちの中で、本音の発言で顰蹙を買うこともあった有賀さんの生きざまは、かなり“不器用”だったのかもしれない。そんな特異な真っ直ぐさがあったから、誰にでも愛され、「女子アナ」という時代を切りひらく先駆者にもなり得たのだろう。
「彼女は親しい知人どころか、親族にさえ病気を知らせませんでした。それは、最期まで彼女らしい“底抜けに明るく美しい女子アナ”を貫きたかったからかもしれません。それが彼女の生きる道だと、見定めていたのでしょう」(前出の知人)
有賀さんの背中を見て生きてきた娘は15才。母と暮らした都内の自宅から、友人や友人の家族に支えられながら、今も変わらずに学校に通っているという。離婚時のインタビューで、有賀さんはこう語っている。
「不安がないといえば嘘になりますが、生活保護を受けても私が育てていきます。私が精神的に不安定だと、子供にも伝わります。吹っ切って前を向いて、自分の道を切りひらく意志を持った母の元で育つ方が、子供にとって幸せ」
誰よりも強かった「伝説の女子アナ」の冥福を祈りたい。
※女性セブン2018年2月22日号