落合信彦氏による本連載ではケネディ、サッチャーと世界を動かした政治家の言葉を取り上げてきた。だが、世界を動かすのは政治家だけではない。偉大なスポーツ選手もまた、経験に裏打ちされた言葉を通じて、世界を、人々の心を動かすのだ。
今回は落合氏が、音速の貴公子と呼ばれ、伝説として語り継がれる天才F1ドライバー、アイルトン・セナの言葉を紹介する。落合氏は1991年8月、ハンガリー・グランプリ直前にハンガロリンク・サーキットの中で、1時間半に及ぶインタビューを行った。
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努力を怠る人間ほど成功者を妬み、「あいつは運が良かったのだ」「恵まれた環境にあったのだ」と陰口を叩く。人間とは弱い生き物だとあらためて感じざるを得ないが、実は、F1の絶対王者・セナこそ、徹底的に妬まれ陰口を叩かれた人物だった。
彼の成功を素晴らしい家庭環境やチャンスに恵まれた幸運によるものだと言う者たちが絶えなかった。確かに、彼は裕福な家庭に生まれた。実業家として成功した父は、セナが4歳の時にゴーカートを買い与えている。私はストレートにそのことを問うた。チャンスをまったく与えられない者も多いではないか、と。彼の回答は明確だった。
「それは違う。皆平等にチャンスは与えられている。この世に生を受けたということ、それ自体が最大のチャンスだろう。すべてこの世に生まれてきた者は、神からそれなりの能力と肉体的力、そして生きる目的を与えられている。神はこの上なく公平なものだ。どのような人間にもタレント(才能)を与えてくれている」
敬虔なカトリック教徒だった彼は、死と隣り合わせの世界で、努力を惜しまなかった。才能とチャンスを与えられているにもかかわらず、酔って後輩に暴行しているどこかの力士とは大違いだ。そもそも、土俵にあがれば真剣勝負の力士たちが、和気藹々と酒を酌み交わしていること自体がおかしい。