「金」にこそ届かなかったものの、渡部暁斗が平昌五輪ノルディック複合・個人ノーマルヒルで2大会連続銀メダルを獲得したことは、度重なるルール改正に苦しんできた日本の復権を意味する快挙だろう。
冬季五輪の第1回大会から続く伝統競技であるノルディック複合にあって、日本は1992年アルベールビル、1994年リレハンメルの両五輪で団体金メダルに輝いた。
その立役者が、W杯で1992年から3季連続総合王者となった荻原健司氏だった。黄金期を健司氏と支えた双子の弟・次晴氏が振り返る。
「前半のジャンプで大量リードし、後半のクロスカントリーで逃げ切るのが勝利の方程式でした。当時、主流になりつつあったV字ジャンプを取り入れ、それを磨くことに日本は力を注いだ。兄の健司は、ジャンプ大会で船木(和喜)選手、葛西(紀明)選手らを抑えて優勝したこともあります」
しかし1998年の長野五輪を前に、複数回にわたって日本に不利なルール改正が施行された。ジャンプの比重が軽くなり、以前ほどクロスカントリーのアドバンテージ=タイム差に結びつかなくなったのだ。露骨な“日本潰し”の結果、長野五輪では団体で5位に沈んだ。
日本の躍進によって本場・ヨーロッパにおける複合人気が低迷し、スポンサーが集まらずにW杯の開催が危ぶまれたことなどが背景にあったという。ルールが変われば、試合の戦略や練習内容も変わったはずだ。
「クロスカントリーの練習に時間を割いて筋力を付け過ぎちゃうと、今度は空を飛べなくなってしまうんです。ものすごくデリケートな部分があって、ルール変更によって日本はジャンプ力まで低下した」