東京五輪招致をきっかけに猫も杓子も「おもてなし」を口にする。だが、本当にそんなに誇るべきものか。同志社大学政策学部教授の太田肇氏は、そこに「日本の労働生産性の低さ」の背景があると見る。
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「おもてなし」という言葉がひとり歩きしている。五輪を控え、官民一体で「おもてなし」で観光・サービス業をてこ入れし、経済を活性化させようとしている。
だが、「おもてなし」とは本来、心のこもったサービス、細やかな心配りであるはずだ。それを自ら「これがおもてなしですよ」と口にした時点で、「おもてなし」ではなくなる。結果、心を欠いた表層的なサービスが横行する。
問題は、サービスが表層的なだけでなく、過剰な点だ。顧客の本当のニーズとは無関係に暴走して歯止めがかからない。コストに見合った利益が得られなくても、過剰サービスが提供されるケースが頻発している。
たとえば、コンビニはほとんど客が来ない深夜でも店を開けている。24時間営業を掲げ、便利さを打ち出している手前、人件費や光熱費を鑑みたら採算が取れなくても止められないのだ。
また、デパートで買い物をすると頼んでいなくても商品を丁寧に包装し、丈夫な手提げ袋を用意してくれ、雨が降っていればビニールまで被せてくれる。ヨーロッパでは別料金が取られる。
宅配便は過剰サービスの典型例だ。日本では不在だと再配達してくれる。海外では玄関先に置いて帰る。