今や日本で最も知名度のあるスポーツ選手になったのは間違いないだろう。
「連覇した直後から羽生選手にはCMオファーが殺到しています。五輪のスポンサー企業を中心に、その数は20社を上回る勢いだとか。もともとトップクラスの契約料の選手ですが五輪連覇でさらに市場価値がハネ上がり、1社につき1億円以上の契約料になると見込まれます」(広告代理店関係者)
昨年11月、NHK杯(東京)の公式練習で右足関節外側靭帯を損傷し、シーズンの残り試合をすべて欠場した羽生結弦(23才)。痛み止めをのんでぶっつけ本番で臨んだ平昌五輪にもかかわらず、神がかった演技を見せ、金メダルに輝いた。
そして、絶対王者となった羽生が語り出した言葉は、意外なものだった。たとえば、松岡修造(50才)によるインタビューでは、羽生はこう語った。
「連覇のためだけに幸せを全部捨てようと思いました。普段のこととか、考え方です。“あ、今この幸せいらない”とか。身近にあるものをすべて捨て去ってきた感じです」
また別のインタビューではこう話した。
「(金メダルは)いろんなものを犠牲にして、がんばってきたごほうび」
羽生といえばストイックなことで知られ、「究極の負けず嫌い」とも称される。「圧倒的に勝ちたい」、「絶対王者になりたい」が口癖で、公言するのは前向きで力強い言葉ばかりだ。昨年12月のインタビューでもこう述べた。
「たくさんのことを費やしても全くかまわないくらい、ぼくはスケートをできていることが幸せなんですよ」
つい最近まで、“スケートさえできれば幸せ”と語っていたはずなのに、連覇の重圧から解き放たれた今、羽生の口からは「捨てた幸せ」や「犠牲にしたもの」があると、素直な言葉が溢れだしている。
◆自宅とリンクを往復する毎日
ソチ五輪で金メダルをとったときは19才。それからの4年間といえば、多くの日本の若者が大学生としてキャンパスライフを謳歌する、ちょうどそんな頃だろう。友達と遊んだりバイトしたり恋愛したりという、楽しい時間。だが、王者の羽生は違った。
「日本に帰国した際、地元の仙台でも外出を避け、友達と遊ぶこともありませんでした。外に出る時は常にマスクで顔を隠していました。練習拠点でもあるカナダ・トロントでも同じです。どこにいても注目されるので一切気が抜けず、“芸能人やアイドルじゃない。アスリートとしてスケートがしたいだけなのに…”とこぼすこともありました。人目についてしまうためか、コンサートやスポーツ観戦にも行ったことはありません。
趣味はゲームやアニメというインドア派なので、カナダでの生活も自宅マンションとリンクを往復するだけ。友人とも会う機会はなく、連絡はメールやLINEのみといいます。そんな生活に、少なからず寂しさはあったと思います」(スポーツ紙記者)