1月21日、評論家・西部邁氏が逝去した。東大在学時代に六〇年安保に身を投じ、運動から離れるや、気鋭の経済学者として東大で教鞭を執った。その後、アカデミズムと決別し、在野の保守論客として活躍。安住を求めず、常に前提を疑った西部氏は、「自裁死」という最期を選んだ。保守ならずとも論壇に拡がった虚無感に対し、評論家・古谷経衡氏は何を思うか。
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西部邁先生が多摩川で入水自殺されたというニュースは、2018年の劈頭(へきとう)、世間一般のみならず私を最も暗澹たる思いにさせた虚無の報であった。
西部先生と私が最初に邂逅したのは五年以上前、某CS放送局での収録時である。雲の上の人であった。「あ、どうも…」と頭を下げるのがやっとだった。
高校時代、同世代で熱病のごとく伝播していた小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』ではじめて先生を知った私は、早速著書に手を伸ばしたが、文体が難しすぎてよく分からず、同じ「西」の付く西尾幹二氏の『国民の歴史』に切り替えたという過去があった。
その後、つい最近TOKYO MXの番組に私が出演していたのを先生が聞かれ、関係者伝手に「古谷さんを褒めていましたよ」と聞き及び、飛び上がるほど嬉しかった。
さすがに高校生から現在に至るまで私の読解力も進歩した。保守論壇の中では最早異色の「反米」を強く志向した先生の文体には魅了されていたが、正直私と西部先生の繋がりはこの程度の辺境でしか無い。