憲法に定められた天皇の国事行為の一つに「恩赦」がある。“国家的慶事”などの際に、確定している刑罰を減免する制度で、内閣が決定し、天皇が認証する。2019年5月に控える新天皇即位と改元にあたって恩赦が行なわれれば、戦後13回目となる。自身の刑が減免される可能性を、執行の日を待つ「死刑囚」たちはどう受け止めているのか。
1989年12月8日、ひとりの“元死刑囚”が熊本刑務所から42年ぶりに仮釈放された。72歳になる男の名は石井健冶郎。敗戦直後の1947年に、福岡市内で中国人と日本人のブローカー2人が殺害された「福岡事件」の主犯格とされた男だ。
7人の逮捕者が出たこの事件のもうひとりの主犯格・西武雄と共に、石井には死刑判決が下った。
1956年に最高裁はふたりの上告を棄却し、刑が確定。それでも、石井は特別抗告、再審請求の訴えを起こし、西と共に争い続けた。
1965年には「死刑囚再審法案」が国会に提出され、同法案が国会で審議されている最中の1969年に西と石井は、「個別恩赦(*)」を出願した。
【*政令による恩赦と異なり、死刑囚自ら中央更生保護審査会に対して恩赦を上申するもの。同審査会が「恩赦妥当」かを判断する】
1975年6月17日、2人の運命を分かつ日は突然訪れた。石井は個別恩赦で無期懲役に減刑が認められた一方、西は「恩赦不当」で却下。それのみか同日午前10時すぎに死刑が執行されたのだ。