もうすぐ新年度が始まる。新しい学校、新しいクラス、新しい友達に期待を膨らませている子供も多いだろう。一方で、子供への虐待のニュースが止む日がないほど続いている。虐待のパターンにはいくつかあるが、そのうちの一つに、母親のパートナーに子供が虐待されるケースがある。なぜ、母は虐待するパートナーの元をなかなか去ろうとしないのか。過去のつらい出来事を振り返る母親の体験を聞いて、ライターの森鷹久氏が、虐待から脱出する術を考えた。
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「悪いのは私。この子が中学生、高校生と大きくなって、あの時の事を思い出すかもしれない。私はその時、どうやって接すればいいのか……。謝っても謝りきれません」
涙ながらに語るのは、埼玉県内に住むシングルマザーのミホさん(仮名・三十代)。二十代前半で、当時二十代後半の男性と「できちゃった結婚」をしたが、旦那はほとんど働かず家事もせず、子供が生まれてくる前にはミホさんの元を去った。しばらくは実家で母親と三人で暮らしていたが、子供の保育園入園をきっかけに実家を出て、さいたま市内のアパートで子供と二人暮らしを始めた。
昼間は派遣社員として事務作業をこなし、夕方子供を迎えに行く。食事や風呂などを済ませて実家の母親の元に預けた後は、大宮のキャバクラ店で22時から午前3時まで働く。昼夜合わせての収入は月に40万円を超える事もあり、日々の生活に対する不安はなかったが、仕事と子育てに忙殺され、自分の時間が一切ない、という現実に嫌気がさしていた時、キャバクラ店に客としてきていた男性と関係を持ってしまった。
男性は当時三つ年下のA。不動産会社勤めの日焼けした、いかにも遊び慣れた雰囲気。話もうまく、数回デートした時には金払いも良かった。「子供が好き」「バツイチでも関係ない」といった甘言にも、ミホさんは頼もしさすら感じ取っていた。
「子供を愛していたのは本当です。ただ、仕事と子育てだけで、私は何のために生きているのだろうと思う事はありました。Aと男女の仲になり、やっと自分が”女”だと思えました」
ミホさんの周囲では、結婚する友人もいたものの、ほとんどが独身。仕事上でも責任感のある立場で活躍し、恋愛も遊びもとプライベートを謳歌する友人たちの姿を羨ましく、そして妬ましくも感じていたミホさんにとって、Aとの出会いは待望のものだった。父親の顔をろくに知らず育った自身の経験も踏まえ、我が子には父親がいないことで寂しい思いをさせずに済むと思うと、安堵感も大きかったのだ。それから間もなく、結婚を前提にミホさん親子はAと同居を開始したが、すぐにAの本当の姿を知った。
「Aには数百万円の借金があり”月収30万”と言っていたのも嘘で、すぐに私が援助する形になりました。働きにいっているようでしたが、サボりぐせがひどく、給与がまともに支払われていませんでした。そのくせ、ギャンブル好きで女好き。キャバクラや風俗にもこっそり通っていたんです。それでも、子供には優しかったし、父親としていてほしい。当時はそう思っていました」
傍から見れば「破滅まで一直線」とも思えるミホさんの判断は、すでに「男性依存」に陥っていたことを伺わせる。冷静に考えれば、いくらシングルで寂しく大変とはいえど、収入的には何の問題もなく、ミホさんと我が子、そしてミホさんの母親と手を取り合って幸せに生活していけたはずだが、Aの出現で何もかも変わった。