現在、甲子園球場では選抜高校野球大会が開催されている。今年は第90回という節目の大会だが、すっかり姿を消したのが商業高校や工業高校だ。今大会出場36校のうち、公立の商業高校は富山商業のみ。1956年に初出場で初優勝した三池工業(福岡県)も、その後甲子園に1度も出場していない。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。(文中敬称略)
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1965年夏、炭鉱町として栄えてきた福岡県大牟田市は快挙に沸いた。原辰徳(元・巨人)の実父である原貢が監督を務める県立三池工業が甲子園初出場ながら初優勝を飾った。世界遺産・三池炭鉱宮原坑のガイドが当時の様子を話してくれた。
「ちょうど燃料が石炭から石油へと切り替わるエネルギー革命の時期にあたる昭和35(1960)年、大量解雇の方針により労働争議(三池争議)が起きた。それがようやく片付いた矢先、昭和38年に三川坑で458名が亡くなる炭塵爆発事故がありました。町が暗く沈んだ時期に、明るいニュースとして届いたのが三池工業の優勝でした」
甲子園から戻ってきた三池工業のナインは、小倉駅から大牟田までの約150キロをパレードし、炭鉱町に一時の灯を灯した。しかし、三池炭鉱の廃鉱と共に、町の人口は減少の一途をたどり、野球部の甲子園出場は一度きり。全国に2校しかない甲子園勝率10割(5勝0敗)の学校だ。
3年前に発足したOB会の会長が、優勝メンバーで捕手だった穴見寛である。