東京都府中市にある都立農業高校のガラス温室の一角。太陽の光を浴びて、小さな桜の苗から緑の葉が伸びている。せっせと水をやり、雑草を抜き、土を整えるのは同校の田口喜朗先生(50才)だ。
「冬の寒さに負けず、無事に育って本当によかった。3年後には、また“向こう”できれいな桜の花を咲かせてくれるでしょう」
この苗は、兵庫県神戸市で伐採された桜の枝を接ぎ木したもの。1人の小学生が書いた1通の手紙が、神戸から東京まで桜の木を運んできた。
都立農業高校からおよそ530km離れた神戸市の阪急六甲駅のバス通り。春になると約1kmにわたり美しい桜並木が続く、地元の人に愛されるお花見スポットだ。昨年9月、その中の1本に、こんな手紙が巻きつけられていた。
〈ぼくのだいすきな木を切らないでください。なるべく、みきをたくさんのこしてください。ぎょうしゃさんへ 小4男子より〉
手紙を受け取ったのは、市役所職員として街路樹を管理する志方功一さん(40才)だ。
「神戸市では、倒木の危険性がある老木の計画的な撤去と再生を進めており、この手紙がくくりつけられた木も伐採の対象でした。該当の木に『倒木の危険があるため伐採します』とお知らせをしたのを見て、手紙を書いたのでしょう」
手紙の主と同様に、伐採を悲しむ声は地元の住民からも上がっていた。48才の主婦が言う。
「この桜並木を見るために、毎年近所の友達の家の2階に集まるのが恒例でした。神戸には桜の名所は多いけれど私たちにとって、お花見といえば小さな頃からここだけ。だから、『切らないで』という気持ちは痛いほどわかります」
市民たちを見守ってきた桜の木が植えられたのは67年前のこと。地元の神社に嫁いだ女性が、神社までの参詣の道を示すため、今は亡き夫と地域の人たちの協力を得て植えたものだった。現在90才で、病床に伏しているという本人に代わり、義娘がその心情を明かした。
「このあたり一帯は、第二次世界大戦時の神戸大空襲で甚大な被害を受けました。終戦を迎えてもなお壊滅的な状況の街を見て、悲しみに暮れる住民たちの心に希望をともしたのが、義母が植えた桜の木だったのです」