中国河南省安陽市の陵墓の主が、『三国志演義』で名高い曹操であることが河南省の河南文物考古研究院の1年以上にわたる調査によって明らかになった。これまで一部の研究者が曹操の墓の認定について懐疑的な説を唱えていたが、詳細な遺骨のDNA鑑定や副葬品、同じ陵墓に埋葬されていた男性1人と女性2人の身元などから同研究院が曹操の陵墓であると断定した。
この陵墓は2005年に発見されており、面積が700平方m以上もあることや、内部の副葬品が400点に及び埋葬されている人物の遺骨から60歳以上であること、さらに、1998年に陵墓の近くでみつかった後趙時代の武人の墓誌から、地元の考古学研究委員会は曹操の墓である可能性が高いと発表していた。
その後、2009年、2011年の2回にわたる発掘調査から、様々な副葬品が発見されたほか、男性2人と女性2人の遺骨も発見されており、このうち男性1人は若くして亡くなった曹操の長男、曹昴であり、他の2人の女性のうちの1人は骨の推定年齢が50歳くらいで曹操の妻であるとみられている。もう一人の女性は推定25歳くらいだが、現時点で、その身元の特定はされていない。
同研究院の周立剛研究員が中国紙「新京報」のインタビューで明らかにしたところでは、記録によれば、曹操は生前、「自分の陵墓は質素なものにせよ」と後継者で息子の曹丕に指示していた。だが、曹丕は曹操の指示には従わず、かなり大規模で贅沢な陵墓を建設したという。