日本と韓国の戦後補償問題は、解決したと思うと蒸し返される、の繰り返しだ。どのような経緯をたどってきたのか、振り返ってみよう。
【解決】1965年6月 日韓請求権協定
椎名悦三郎外相と李東元外相によって調印された協定により、戦後補償問題は解決したはずだった。このとき、日本政府は韓国に5億ドル(当時の韓国国家予算は3.5億ドル)を供与している。
【蒸し返し】1992年
韓国挺身隊問題対策協議会(挺身協)などが慰安婦は強制連行されたと主張。
【蒸し返し】1993年3月
金泳三大統領が「補償は求めない」と発言した。そのため、日本側では“補償しなくてもよいならば強制を認めてもよい”との意見が一部で出始める。
【解決】1993年8月 「河野談話」発表
慰安婦の強制性を認め「おわびと反省」を表明。
【解決】1995年7月 「アジア助成基金」設立
「償い金」を元慰安婦に「アジア助成基金」から支払。韓国外務部は「誠意ある措置と評価した。