空は快晴、20℃を超える陽気だった4月上旬のお昼どき。東京・赤坂の繁華街はランチに繰り出すサラリーマンやOLで賑わっていた。その雑踏の中、体格のいい男性が幼児を抱きかかえてゆっくりと歩いていた。隣に寄り添うのは5才ほど年下の彼の妻。遠目からでも目を引くスタイル抜群の美男美女夫婦はテナントビルに入っていった。
その日は飲食店経営者の妻がそのビルに新しくオープンさせた店の開店初日。店内にはスローテンポの洋楽が流れ、白木のカウンターと、奥には畳敷きの個室がある、大人の隠れ家のような雰囲気。店の一角で、子供を上手にあやしつける背の高い男性は、その前々日に「無期限の芸能活動休止」を発表したばかりの坂口憲二(42才)だ。一見するだけでは、体調不良は感じられない。坂口は心機一転の門出を、真新しい店内で家族と共に迎えていた──。
2015年に、国が指定する難病の「特発性大腿骨頭壊死症」と診断されてすぐに手術した坂口。その後は通院治療やリハビリに励む一方、体に負担となる俳優業を控えて主にナレーション業を行った。一部では本格復帰も間近と見られたが、3月31日に所属事務所を通じて活動休止を発表した。
◆趣味のサーフィンでリハビリも
「特発性大腿骨頭壊死症」は厄介な病気だ。
「股関節の付け根にある骨が血流の低下で壊死する難病で、壊死した骨が潰れたり変形して激しい痛みが出る。原因ははっきりしませんが、アルコール摂取やステロイド使用が関連するといわれます。治療は、骨の一部を切断して骨の角度を変える『骨切り』や人工関節に変える手術が一般的です」(吉田整形外科の吉田雅之・整形外科医)
この難病が世に知れわたるきっかけは、美空ひばりさん(享年52)だった。1985年5月、ゴルフ中のひばりさんは突然両足の内側にひきつるような痛みを感じた。最初は「年のせいかな」と気にしなかったが、1987年4月には公演先の福岡で立つこともままならなくなり、病院で検査を受けると「両側大腿骨頭壊死症」と診断され、緊急入院した。
1988年4月、この年オープンした東京ドームに5万人の観衆を集めて開催した「不死鳥コンサート」で復活を遂げたが、病魔は確実に「昭和の歌姫」を蝕んだ。
「コンサートの最後に100メートルの花道を歩くひばりさんが立ち止まって観衆に手を振る“伝説のシーン”が有名ですが、実はあの時ひばりさんはあまりの足の痛みで歩けなかったんです」(芸能記者)
奇跡の復活後、体調不良を繰り返したひばりさんは翌年6月、帰らぬ人となった。そんな彼女と同じ難病を抱える坂口を支えるのは家族の愛情だ。坂口は2014年3月、飲食店経営者のA子さんと結婚した。
「A子さんは京都出身の和風美人で都内の料亭を切り盛りするやり手です。学生時代にはアメリカへの留学経験があって、ハッキリした性格。祇園や銀座で働いたこともある美人です。坂口くんは親友の伊藤英明さんの紹介でA子さんと知り合い、彼女の方がぞっこんになったそうです」(坂口の知人)
結婚直後、坂口は病気で休養に追い込まれるが、A子さんは動じなかった。
「妊娠中のお腹が大きな時期に新婚の夫が休むことになりましたが、A子さんは動揺もせず献身的に看病を続けました。知り合いづてに治療法を聞き回って、いい手術法があると聞けばアメリカにも飛んで行っていました。出産の1週間前まで店に立つほどの頑張り屋です。
現在は3才と1才の男の子を育てながら夫をサポートし、料亭やバーなどを切り盛り。A子さんは細腕ながらかなりやり手で何店舗も繁盛させているようです。坂口くんはすっかり子供の面倒をよくみるイクメンですよ」(夫婦の知人)
そんな一家は現在、千葉県の海岸沿いの一戸建てで暮らしているという。