エンゼルスの勢いが止まらない。大谷効果で、7連勝。大方の予想を裏切る開幕ダッシュでア・リーグ西区首位に立つ。1995年の野茂英雄以降、これまで二千試合を現地で取材したスポーツジャーナリストの古内義明氏が、初めてエンゼルスを見た29年前を回想し、“大谷マニア”も出現した現在のフィーバーを比較しながら、エンゼルスの球団史を見つめた。
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カリフォルニアの太陽で焼けたチームカラーの赤色の座席がやけに目立つ。観客はまばらで、売り子の声が響き渡り、客席では野球そっちのけで、ビーチボールで遊ぶファンが妙に楽しげだった。
いまから29年前、エンゼルスのゲームを初めて見たこの光景が、私の脳裏に焼き付いている。
その年、本拠地アナハイム・スタジアムではオールスターゲームが開催された。エンゼルスから選出されたのは、左のエースのチャック・フィンリーただ一人。すでにオールスターグッズは大量にセール品として出され、ショップ内の人影はまばら。いまやそのショップでは、「OHTANI」とプリントされたユニホームやTシャツが飛ぶように売れている。
1961年に拡張計画の新球団として誕生したエンゼルス。最初のシーズンはロサンゼルス・リグレー・フィールドを、翌1962年から1965年まではドジャー・スタジアムを間借りしていた。平均観客動員は1試合あたり1万人ほどで、現在の夏の甲子園よりも少なかった。1966年に待望のアナハイム・スタジアム(現エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)が完成するが、1980年にナショナルフットボールリーグのロサンゼルス・ラムズが移転してきたため、兼用球場に改修され、余計に空席が目立つ憂き目にあった。
エンゼルスが全米の注目を集めることは稀だった。球団史を彩ったロッド・カルーやノーラン・ライアンはその時々で注目を浴びたが、人気球団が来場した時はその球団のユニホームを着たファンの声援が目立つことも珍しくはなかった。当時の思い出としては、人気野球映画「メジャーリーグ」に主演したチャーリー・シーンが彼女と一緒に、誰もいないレフトの外野席で、両手を広げてホームランボールをおねだりする姿が、お茶の間に流れたことだ。
ロサンゼルスと言えば、今も昔もドジャースである。毎年のようにワールドシリーズ制覇を狙うドジャースは、リーグ優勝22回、世界一に輝くこと6回の名門球団。一方のエンゼルスは、リーグ優勝とワールドシリーズ制覇が2002年のわずか一度だけ。非常に対照的なチームが50キロ圏内に共存しているのだ。スタジアムを包む空気はどこか牧歌的で、ファンも勝利に執着するよりも、野球自体を楽しむという雰囲気。23歳の大谷翔平の成長を温かく見守るファンであることは間違いないだろう。そういう意味で、大谷は自分の将来像を描けるいい球団を選んだ。