1971年に参議院に当選して、1990年に自民党に入党した時、僕は渡辺美智雄派に籍を置いて、中曽根さんが派閥の“オーナー”だった。
中曽根さんはご自分を大家、僕を店子にたとえて、「大家さんとしては、君にいつまでもヒラでいてもらっては困る」という話をされました。
要は、「大臣にならないか」という意味だったんだが、僕は永田町の権力闘争が嫌いだったから、「大臣より大学の先生になりたいんです」と見当外れな断わり方をしてしまった。御恩に報いるどころか、不義理をしてしまったと後悔しています。
結局、僕は政治家として中途半端だったんだね。期待して目をかけてもらったのに、二流、三流の議員で終わってしまった。中曽根さんに弔辞を読んでもらえるなら、「こういうところがダメだった。期待したのになァ……」と叱ってほしい。そんな僕の甘えです。
それに、海江田クンが読むとなると、秘書時代に彼に用意させた総理への質問原稿を目の前で破いたことをバラされそう。お叱りならいいけど、恨み言で送られるのは気持ちのいいもんじゃないからね(笑い)。
※週刊ポスト2018年5月4・11日号