【著者に訊け】辻田真佐憲氏/『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』/光文社新書/880円+税
〈検閲は絶対悪である〉と前書きにある。〈それが現在の常識となっている〉と。が、戦前のトラウマから拒否反応を示す人々の多くは、いざ〈検閲とはなにか〉と問われると満足に答えられず、〈実態をよく知らずに、検閲を頭ごなしに否定してはいなかっただろうか〉と、辻田真佐憲氏(33)は書く。
本書『空気の検閲』では内務省が具体的な検閲事例を記した内部資料『出版警察報』等を元に、1928~45年8月の業務の実態を具(つぶさ)に検証。すると検閲とは〈公権力が新聞、雑誌、書籍、放送、音楽、映画などの表現内容を審査し、不適当と認めるものに発表禁止などの規制を加えること〉といった定義に収まらないほど〈面白いもの〉であり、〈恐ろしいもの〉や〈複雑なもの〉でもあった。
その3つの様相を網羅し、いわば〈趣味と政治と学問のベストミックス〉を標榜する著者は、検閲する側とされる側が空気を読み合い、〈忖度〉した当時の状況を「空気の検閲」と名付ける。人が人を検閲する以上、それは良くも悪くも泥臭く、人間味溢れる、仕事だった。
「それこそ当初は『昭和の検閲面白事例集』を作ろうとも思ったんですけどね。特に昭和初期のエログロナンセンスの時代は、〈この、まん中のやつが硬くなってきたら『注意』〉とか、かなり笑える検閲基準がまかり通ってもいたので(笑い)」
ちなみに検閲には〈安寧秩序紊乱(びんらん)〉と〈風俗壊乱〉の2つの柱がある。前者は危険思想や不敬行為を政治的に、後者では公序良俗に反する表現を取り締まった。また内地の検閲は内務省警保局図書課が所管し、旧植民地では各総督府の警務局が実務を担ったが、図書課の職員数は27年末で24名。最大時で100名強と人手不足に喘ぎ、1日200種以上に目を通す〈閲覧地獄〉に、神経を病む者もいた。