いよいよエンゼルスの大谷翔平が名門ヤンキースとの一戦を迎える。今回は日本時間の29日に先発が予定される田中将大との初対決となる。ヤンキースは大谷を花巻東時代から最大級に評価していた球団の一つだが、争奪戦であっさり敗れた。これまで二千試合を現地で取材したスポーツジャーナリストの古内義明氏が、「大谷VSヤンキース」の因縁、そしてマー君との初対決を紹介する。
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ヤンキース・ファンは大谷が憎いかもしれない。ポスティング制度によるメジャー移籍で、大谷にはメジャー30球団から好きな球団を選ぶ権利があった。それでも、ヤンキースは大谷に選ばれなかった。
野球選手なら誰しもが憧れ、ピンストライプのユニホームに一度は袖を通したいと思っているのがヤンキースという球団だ。メジャー1年目のイチローがオールスターゲームに選出された時、憧れだったヤンキースのバーニー・ウィリアムズとユニホームを交換して、たいそう喜んでその場でユニホームを着た。
しかし、である。大谷が選んだのは、エンゼルスだった。選ばれなったヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは、「(大谷を獲得するために)2012年からスカウト活動をはじめ、チームを整えてきた。ニューヨークが東海岸の大都市であることは変えられない。(大谷には)全てをアピールしたが、合わない選手には合わない」と、吐き捨てるような敗戦の弁だった。4度の世界一に導き、5年総額28億3500万円のGM最高年俸男のプライドはズタズタに引き裂かれたに違いない。
これを受けて、ニューヨーク・メディアは大谷を格好の餌食にした。NYポスト紙は「No-htani !大谷翔平、ヤンキースを断る!」、NYタイムズ紙は、「大谷翔平、ヤンキースを拒否」、極めつけは、NYデイリーニュース紙の「なんて臆病者だ!」という見出しを並べた。大本命と目されていたヤンキースが面接にもよばれない書類審査で落選したことは、メディアとファンを敵に回すのに十分な条件となった。
中規模都市、温暖な気候、日本人選手がいない球団、二刀流の起用法などなど、敗因を挙げればキリがない。ましてや、メジャーの25歳ルールの前に、ヤンキースは圧倒的な資金力を背景とした得意のマネーゲームに持ち込めなかった。