明治維新から今年で150年。著書に『明治維新という幻想』がある森田健司氏がこれまでタブーとされてきた歴史の真実を暴く。
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戊辰戦争期の江戸庶民の胸中を知るには、当時発行された「諷刺錦絵」を調べるのが一番である。作者が文字や絵にある意味を隠し、それを当てられるようにした絵を「判じ絵」と言うが、戊辰戦争期には、判じ絵として描かれた諷刺錦絵が数多く発行された。
ここでは諷刺錦絵「妖狐伝」を見てみよう。
発行時期は明示されていないものの、戊辰戦争の錦絵であることと、描かれた内容から、慶応4年(1868年)の4月頃に作られたものと推察できる。
絵の内容は、中央の二人が囲碁で勝負しており、その周りで左右両陣営四人ずつが、各々言葉を発しているというものである。中央の二人は、左が明治天皇、右が慶喜である。慶喜は唐人(架空の異国人)の格好をしているが、これは慶喜が外国の公使と親しく交際していたからである。
絵の中で天皇は、「そなたにしろがもちきれやうか こつちへわたして へいこうするか それがいやならしやうぶ(勝負)するか 二ツに一ツの へんとうせよ」と言っている。それに対する慶喜の答えは、こうである。「ハイハイ しろをおわたし申す」。この「しろ」は、囲碁の白と江戸城の城を掛けたもので、このセリフから、本錦絵が無血開城後、それもすぐ後に発行されたものと考えられる。