54才で認知症の母(83才)を介護するN記者(女性)。母は今、サービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)に住んでいる。要介護になった当初は、「同居か?」「施設か?」の二択しかないと思っていたが、サ高住を選び、症状が落ち着いたという。
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ひとりっ子の私は、いつか必ず直面する親の介護について、わりと早くから覚悟しているつもりだった。が、「覚悟」は必ずしも「現実」を支えない。父が急死して認知症の母に直面、あわてて考えた選択肢は、同居して世話をするか、施設に預かってもらうか、それくらいしかなかった。
父臨終の日、とりあえず私たち夫婦と娘が住むマンションに、母を迎えた。母と私の自宅は電車で30分程度の近距離ながら、混乱する母をひとりにできなかったからだ。
だが“とりあえず…”にもかかわらず、母との同居は、想像以上のストレスフルだと思い知ることになった。
当時、わが家は娘が高校受験という試練の時を迎えていた。そこへ母が突然来たことで生活がすべて母中心になり、何かとギクシャク。また、私が仕事をする間、手持ち無沙汰にウロウロしているかと思うとフラリと外出してしまう母にイライラ。父の生前、お互いの家を行き来したときには感じたことのない“他人の違和感”があった。
同居に前向きになれない私の内心を察したように、小さなことで口論になったとき、「あんたの家のお客さんになりたくない。帰る!」と言い捨てて、母は自宅に帰った。わずか3週間の模擬同居。ひとりで帰った母を心配するどころかホッとしたことに、さらに自己嫌悪が深まった。
「お客さんになりたくない」
認知症になって以後、母が発した名言中の名言だが、これには私への嫌み半分、そして自立して生きたいという、母らしい叫びにも聞こえた。
というのも30年ほど前、独立心から私が実家を出たとき「嫁入り前の娘が!」と激怒した父をなだめ、母は引っ越しを手伝ってくれた。古いアパートの部屋で「すごいわね~Nちゃん。ママは一度もひとり暮らしをしたことないわ」と、うらやましそうにつぶやいた母が印象的で、ずっと心に残っていたのだ。