就活シーズンまっただ中のいま、リクルートスーツに身を包んだ学生たちの姿をあちこちで見かける。超売り手市場といわれるだけあって、学生たちの表情は明るい。しかし、だれにも希望する就職先への門戸が開かれているわけではない。いわゆる「学歴フィルター」が存在しているからだ。同志社大学政策学部教授の太田肇氏が、改めて学歴フィルターの有効性を問う。
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企業が新卒採用にあたり、いまだに学歴フィルターに頼っている現実があることは、学生にとっても周知の事実である。旧帝大や早慶などを筆頭にした大学ランクがあり、例外はあるものの有名企業、人気企業ほど高いランクの学生に絞って採用しているのが実態だ。
企業にとって、かつては大学の偏差値に基づくフィルターが有効だったのは間違いない。明治以降、そして戦後加速したキャッチアップの時代には、先進国の技術やビジネスモデルなどをいち早く取り入れ、自社に応用することが企業の成長と繁栄につながった。それに適した人材が、いわゆる「受験秀才」だったのである。
また幅広い知識を備え、それを応用して効率的に正解へ導く能力や、逆境・悪条件のもとでも頑張って仕事を成し遂げる精神力も、大学の偏差値とかなりの相関が高かった。したがって偏差値の高い大学の学生を採用しておけばよかったわけである。
しかし、IT化やグローバル化の波が押し寄せた20年ほど前から状況は変化している。
まず、価値の源泉が物質すなわちハードウェアから、技術や知識のようなソフトウェアに移り、情報が瞬時に伝播するようになるとともに、世界の企業が横一線で競争する時代に入った。そして、「キャッチアップ」という言葉さえ死語になってしまった。
またIT化の進展により、多くの業種や職種で定型的な仕事が大幅に減少した。同時に一般的な知識を応用し、迅速に正解へ導く能力もコンピュータにお株を奪われていった。
「これからは高度な専門的知識や論理的思考力こそが大切だ」という言説が広がり、大学教育でも専門的知識を身につけさせたり、論理的思考力養ったりすることを重視するようになった。