何かの犯罪が起きたとき、容疑者を知る人のコメントとしてよく登場するのが「そんな人には見えなかった」である。逆にいえば、意外な人が犯罪者になることは珍しいことではない。身近な人でもそうなのだから、直接、知ることがない有名人であればなおさらだ。ところが、芸能人の場合は、ドラマなどで演じる通りの善人のはずと思われることがある。この思い込みを利用した犯罪や、犯罪まがいの行為について、ライターの森鷹久氏がレポートする。
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性犯罪やセクハラなどが明るみに出るたび、被害者に落ち度があった、何か別の目的のための作為が働いているという思い込みを声高に主張する人が後を絶たない。加害者が社会的地位や知名度を持っている場合はその傾向がとくに強く、インターネット、SNSの普及にあわせるかのように、みずからの認知の歪みを、被害者を貶めてまで正義だと強弁する人がいなくならない。
高級官僚であれ、人気の芸能人であれ、まったく失敗しない人生を歩む人はいない。それに、彼らが世間に見せているのは仕事の上での顔だけ。人間は仕事や外向けの顔だけで成り立ってはおらず、もっと複雑なものだ。ところが、一面しか見ていない人物のことを、なぜか人間性すべてを知っているかのように錯覚してしまう人たちがいる。とくに、イメージをコントロールすることも仕事の一つである芸能人については、惑わされる人が多い。
その幻惑のテクニックが、タレントやアーティスト、俳優としての技量の上で成立しているのであれば、まだ歪みは小さいだろう。だが現実には、彼らの動向を報じるメディアの「忖度」と、忖度されるのを当たり前と考える一部の芸能人や芸能事務所、それを拒否できないメディアという、堂々巡りの構造的な問題が存在するのだと大手紙の芸能記者が指摘する。先日、未成年への強制わいせつで書類送検された、TOKIOの山口達也をめぐる報道にも、その過剰な「忖度」が浮かび上がっていた。
「彼が”容疑者”ではなく”メンバー”と報じられたことについては、書類送検だけで逮捕になっていないことなど複数の解説がありましたが、”メンバー”をつける意味が分からない。今回、よく説明されているルールの通りに報じるなら、同じ事務所で以前、現行犯逮捕されたタレントの事件でも”メンバー”となっていたのはおかしい。結局、ほとんどのメディアが芸能事務所に”忖度”したのは間違いないでしょう。同事務所に所属するアイドルは、パフォーマンスの力があって、起用すれば高い数字(視聴率や販売数)が取れる人が何人もいる。だから、事務所に嫌われるような報道はしたくない」
4年前、大手芸能事務所に所属していた小泉今日子が「私みたいに事務所に入っている人間が言うのもなんだけど、日本の芸能界ってキャスティングとかが”政治的”だから広がらないものがありますよね」と雑誌インタビューで発言して話題になったことがある。日本ではテレビ番組や映画など、芸能人を必要とする企画が、出演者ありきで決定されることが少なくないため、事務所の政治力によって誰が出演するかが決まることが多い。
このような方法で演者を決めていると人材の新陳代謝が難しいため、海外の映画やドラマでたびたび見かける、オーディションによって抜擢された新人が力を発揮して人気者になるという現象が、日本では滅多に起きない。政治的なパワーバランスで様々なことが決まってゆく。そのバランスを崩さないため、メディアは過剰な”忖度”をしつづける。たとえば、新人が過剰な持ち上げられ方をするときには、一足先にその力を知るメディア関係者にファンを増やしていることもあるが、実は事務所の政治力を背景にした”忖度”が働いていることも少なくない。とくにトラブルが起きたとき、それは効力が発揮されている。
「事務所のタレントがトラブルを起こしたとき、ニュースにしないでほしいとにおわせることはよくあります。はっきりお願いされなくても、担当者が忖度して口をつぐむ。そうすれば、ほとんどのトラブルは公になりません。事務所にとってもメディアにとっても、トラブルを起こしたタレントが連続ドラマやCMに出ている場合、コトが詳らかになれば金銭的ダメージが大きいとか、事務所やスポンサーの評判にかかわるとか、そんな理由です。きわめて身勝手な理屈ですが」(同前)
もちろん、そんな勝手な理屈でお願いをする事務所ばかりではない。社会的に許されないことを起こした所属芸能人に対して、厳しい態度で反省と更正を促す事務所もある。ところが、一般的な倫理観や法律よりも、現在のビジネスを継続させるために、自分たちの政治力を駆使する事務所がある。そしてお願いをにおわせ、担当者が忖度をする、といったやりとりが続いたことで、一部の芸能事務所に所属するタレントや俳優は神格化されたともいう。
「本当は何度もトラブルを起こしていても、表向きはスキャンダルの気配すらなかったことにされるため、一部のタレント、アイドルたちはいかにも”きれいなもの”と視聴者や読者に映ります。イメージをコントロールしてもらっていると本人や関係者に自覚があれば、まだよいのですが、勘違いして、何をやっても許されると独自解釈する芸能人が多く作り出されてしまっている側面もある。視聴率や動員数、販売数などの”数字を持っている”彼らに対し、今のマスコミはまったく批判や検証をしません。発表される内容を、そのまま報道するだけです」(同前)
こうした互助関係が、さらなる歪みを呼び込む。キー局の人気番組APがその実情を明かす。
「マスコミと事務所が作り上げた芸能人の幻に憧れる、判断力の乏しい若い子達が、食い物にされることがある。駆け出しのモデルやタレントたちは有名な芸能人に近づけたり、一緒に仕事ができるだけで大いなる自信にもなりますが、言うことは何でも聞くような状態になることも。ひどい場合になると、酒を飲まされて性虐待を受けても”被害”とは感じないどころか、誇りや勲章とすら感じるほど普通の考え方ができなくなってしまう。気づいたときにショックを受けて立ち直れなくなることも」