「自殺幇助」という犯罪がある。「自殺」そのものは日本では犯罪にならないが、それを手伝うと罪になる。評論家の呉智英氏が、なぜ、自殺幇助が犯罪となるのかについて論じる。
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一月末、評論家の西部邁が自決した。空しく見苦しい余生より、自らの意志で死を決断する。まさに自決であった。対談や講演などで交流のあった私としては、西部さんらしい逝き方だなと思った。
しかし、四月になって予想外の報道を知ることとなった。西部の自決を手伝った二人の人物が自殺幇助罪で逮捕されたのである。二人は西部の思想的共鳴者であり、言論活動の協力者でもある。自決の手伝いは当然と言えるところであるが、法律上は違法だ。二十六日には起訴となった。西部はしばしば生命絶対主義への懐疑を口にしていたが、期せずして西部の思想は法律に体現された常識論への批判の一矢となった。
日本では自殺は刑法に触れない。キリスト教国などには自殺を犯罪とする国もあるらしいが、未遂しか罰しようがない。まさか自殺した遺体を投獄するわけでもなかろう。キリスト教由来の伝統がなく、自決も人間の尊厳を守る儀式の一つと考える日本では、自殺そのものは不可罰となっている。
しかし、不思議なことに自殺幇助は罪になる。本来、幇助犯は正犯に対する従犯であり、正犯が罰せられるからこそ、その協力者である従犯も正犯に準じて罰せられるはずである。ところが、自殺幇助は、自殺そのものが罰せられないのに、これが独立して一つの犯罪となっている。
それには一応の理由がある。