話題を呼んでいる今期ドラマ『正義のセ』(日本テレビ系)と、『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』(NHK)。それぞれ、主人公が検事、弁護士だが、いずれも「新米」。にもかかわらず、弁が立つなど、“無茶ぶり”とも言える設定なのだ。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんがその狙いについて解説する。
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この春からドラマ『正義のセ』 と、『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』(以下、『やけ弁』に略)が放送されています。
『正義のセ』は吉高由里子さんが検事、『やけ弁』は神木隆之介さんが弁護士を演じていますが、特筆すべきは、ともに「新米」であること。年度初めである春だけに、「新米の成長物語を描きたい」という意図は分かるものの、そこは法律を扱い、個人の人生を左右する専門職だけに、「新米だから」という言い訳は通用しません。検事は失敗がえん罪に、弁護士は未熟さが量刑の重さにつながってしまいます。
しかも、吉高さんが演じる竹村凛々子は、義理人情に厚い父の浩市(生瀬勝久)から、「お前は昔、正義の味方になりたいと言っていた」と言われるほど正義感が強く頑固という設定。一方、神木さんが演じる田口章太郎は、担当する中学校の教務主任・三浦雄二(田辺誠一)から「活舌がいい」と言われるシーンが何度もあります。
ともに「新米なのに失敗が許されない職業」というだけでなく、「新米なのに正義感が強く頑固」「新米なのにやたら弁が立ち強気」というムチャぶりのような設定なのです。「周囲の言うことを聞かない」「生意気にしか見えない」など無理のありそうなこの設定には、どんな理由があるのでしょうか?
◆「新米が悪をやっつける」ギャップをさらに大きく
検事や弁護士が主人公の作品と言えば、最大の魅力は、悪を成敗する爽快感。言わば、王道の勧善懲悪ストーリーであり、特に主人公が悪をやっつけるクライマックスのシーンは盛り上がります。
新米である上に、ムチャぶりの設定によって、主人公の仕事はますます困難に。苦労や葛藤が増えるため、クライマックスの爽快感は相対的に大きくなっていきます。つまり、「新米が悪をバッサリ斬り捨てる」シーンに、ムチャぶりが加わることで、ギャップが大きくなるのです。
さらに見逃せないのは、昨今の視聴者が「新米の成長物語をじっくり見届けなくなった」という理由。1話、2話あたりで、「未熟な主人公が失敗する」という消化不良気味の展開をよしとせず、「最初から成功して溜飲を下げる」ことを求めているのです。
そのため近年は、新米が主人公の作品自体が激減。新生活のスタートである春でも新米が主人公の物語は少なく、あったとしても「検事や弁護士のような専門的なスキルを持ち、1話から成功を収める」ものなのです。今回の「正義感が強く頑固」「やたら弁が立ち強気」というムチャぶりは、成功を収めさせるための設定とも言えるでしょう。
◆年上キャラと先輩俳優の力強いフォロー