生月島は、1549年のザビエルの上陸後、イエズス会が初めて民衆の一斉改宗を行なった地域だ。
17世紀に入って禁教が始まってから、オラショは「音」だけを頼りに受け継がれてきた。禁教の強化で宣教師は処刑・追放され、参照すべきテキストも残されていない。そうした経緯ゆえ、現在の信徒たちも祈りの文言の意味をほとんど理解していないという。
ただ、そこにはキリスト教伝来当時の文言が、確かに残されている。
たとえば冒頭の祈りは、ポルトガル語と日本語が入り混じり「でうすぱーてろ=Deus Padre=父なる神」といった具合に、もとの意味に“翻訳”できる部分があるのだ。
伝来当時のポルトガル人宣教師らの言葉を残しながら、「祈りのかたち」は確かに伝えられてきた。その熱量に、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
5月3日、日本が世界遺産に推薦する「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が「登録が適当」と勧告した。6月24日からの世界遺産委員会で、正式に登録される見通しだ。
だが、不可解なことに、12の構成資産の一覧を眺めても、生月島の名前はない。まとまった規模の組織的信仰を続けているのは、この島だけなのに──。
実は、登録を推進してきた長崎県は、意図的に生月島の存在を避けた痕跡がある。私の手元に、県が作成した2つのパンフレットがある。一つは2014年、もうひとつは2017年に作られたものだ。