国内22番目の世界遺産へ──「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が脚光を浴びている。江戸幕府による禁教下で、密かに信仰を守り抜いた人々の歴史に光を当てる取り組みが、実を結んだように見える。しかし、その枠組みから“最後のかくれキリシタン”の存在が抜け落ちていた。6月1日に発売予定の新刊『消された信仰』で真相に迫ったジャーナリスト・広野真嗣氏がレポートする。
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四畳ほどの小部屋に座した和服姿の古老は、朗々と祈りを捧げ始めた。
「でうすぱーてろ、ひーりょう、すべりとさんとの三つのびりそうな一つのすつたんしょーの御力をもって始め奉る、あんめいぞー」
文言の意味は、わからない。この祈りは、約45分間止むことなく続いた。
聖書のようなテキストはない。その間ずっと、古老の眼差しは壁に備えつけられた木棚の内側に注がれている。そこには、「ちょんまげ姿の男」を描いた一枚の絵が掛けられていた。
◆ちょんまげのヨハネ
ここは、九州の北西端に位置する生月島(いきつきしま・長崎県平戸市)。この謎めいた儀式は、「かくれキリシタン」が400年以上も守り続けてきた「オラショ」と呼ばれる祈りだ。祈りを捧げる対象である不思議な聖画は「御前様」と呼ばれている。“ちょんまげ姿の男”は、イエスに洗礼を授けたヨハネを描いたものだという。