映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、役者・石橋蓮司が悪役を演じるときに役柄ごとに心がけていること、老人役を求められる最近になって代弁していきたいことについて語った言葉からお届けする。
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一九八五年のNHK時代劇『真田太平記』での遥くらら扮するヒロインを執拗に狙う忍者役など、コンプレックスで歪んでいる悪役を演じる時に石橋蓮司の魅力はより一層感じられる。
「全くその通りですよ。俺自身、学校も何も中途半端に生きてきましたから。それで十代半ばから二十代半ばまで凄くコンプレックスを抱えていました。みんながいろんな職業に就いているのに俺だけ取り残されているな、という意識があって。意地汚さとか、劣等感とか。とにかく、勉強もしてなかったし、手に職もなかったから、世の中にどんどん置いていかれている気がしていました。ですから、そういう役をもらうと非常にやりやすい。なぜそうなっちゃうのかっていうのが、よく分かるので」
九五年の山崎努主演『雲霧仁左衛門』(フジテレビ)など、時代劇では寡黙な役柄を二枚目的な格好良さで演じることも。
「それは時代劇だからですよ。時代劇だとどんな極悪人でも様になる。閉鎖された世界だから、現代劇だとおかしいと思うことでも強調してできるんです。
『雲霧』は山崎さんの役を支える情念を演じたかったから、二枚目的にいきました。俺の好きな世界なんですよ。自己犠牲して自分の命を断つ、みたいなのが。非常に血が滾(たぎ)ってきます」
時に憎々しく、時にカッコよく、時に飄々と──悪役だけでも石橋の芝居は幅広い。