「普段から家族みんなで西城さんの70年代、80年代の映像を見て“またこんなふうに歌えるように、がんばろう”、“テレビに出るのをあきらめないでね”と、3人のお子さんがエールを送っていたそうです。西城さんも、そんな健気な子供たちのために、がんばっていたのですが…」(西城さんの知人)
その日もそうだったのだろうか。4月25日夜、西城秀樹さんは愛する家族との団らん中に意識を失った。病院に運ばれたものの、5月16日夜に容体が急変、家族が見守る中、この世を去った。63才だった。
女優や歌手とたびたび噂になり、“最後の独身貴族”といわれ続けた西城さんが永遠の伴侶と出会ったのは1999年、大阪でのことだった。お相手は18才年下、イギリスへの留学経験があり、土木関連の企業に勤めるキャリアウーマンだった。
2001年に結婚すると、翌年に長女が誕生。しかし、妻が長男を妊娠中の2003年に西城さんは脳梗塞で倒れた。
「当時、“もう歌えないなら歌手を引退しよう”と弱音を吐いたこともありました。しかし、奥さんの励ましのもとリハビリに励み、2004年には次男に恵まれました」(スポーツ紙記者)
まだ子供が幼い中での闘病生活だったが、2011年に再発。一命は取り留めたものの、右半身に麻痺が残った。
「あまりのつらさに“死にたい”と漏らしたこともありました。そのときには、奥さんが“焦らないで”と、寄り添ったそうです」(前出・西城さんの知人)
妻の献身でリハビリに励み始めた西城さんだったが、やはり思うように体は動かない。そこには歌手として完全に復帰できない悔しさのほかに、子供たちと遊べないつらさもあったという。
後遺症で体に麻痺が残った西城さんは、息子たちと公園で追いかけっこやキャッチボールをしたり、思う存分、外で遊ぶことができなかった。男親としては男同士の触れ合いを願っていたのだったが、それができないジレンマに陥っていたという。