日本グラビア史上最高傑作とも呼ばれる作品が、麻田奈美の「林檎ヌード」だ。あの写真はどうやって生まれたのか? 麻田本人が、40年の時を経て振り返る。
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芸能活動を辞めてから40年も経つんですね。初めて撮影していただいた日のことは、今でもはっきりと覚えています。私の内気な性格を心配した母に「きれいな写真を撮ってもらったら、自分に自信が持てるようになるから」と勧められて、母と一緒にカメラマンの青柳陽一さんの事務所を訪ねました。
青柳さんは一見強面で、緊張しながらカメラの前に立ったのですが、「八重歯がかわいいね、素敵な笑顔だよ」などと褒めてくれて、だんだん撮られることが楽しくなってきました。
慣れてきたころに母から「脱いでごらん」と言われました。不思議と抵抗感はありませんでした。「かわいい」と褒められるうちに、新しい自分に生まれ変わったような気になっていたんだと思います。
「林檎ヌード」は、初めてのスタジオ撮影でした。アシスタントさんたちも多くいて、ピリピリした雰囲気でしたが、次第に周りが気にならなくなり、カメラに集中することができました。林檎を持ち、青柳さんに「カメラに向かって、睨め!」と言われ、何か吹っ切れたというか、自分に自信が持てなかった過去から解放されたような感覚でした。撮影後、心の安らぎさえ覚えました。
この写真を気に入っていただけたからか、海外ロケにも連れていってもらえるようになりました。印象に残っているのは、ブラジルのコパカバーナビーチやサンパウロ市街での撮影です。私と青柳さんの仲を勘違いしたサンパウロ新聞の社長さんが、ダイヤモンドの結婚指輪をプレゼントしてくれたんです。青柳さんには撮影時に私の髪を直す時以外、指一本触れられたことはないのに。この指輪は奥様が持つべきものだと思い、青柳さんにお渡ししました。