【書評】『社会学』/加藤秀俊・著/中公新書/780円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
私事にわたるけれども、私は「社会学者」の井上章一と紹介されることがある。週刊誌の誌面などで、そう言及されることがないではない。世間の雑多なことどもをしらべて本にまとめる様子が、「社会学」的と見えるのだろうか。しかし、私はその世界で古典とされるウェーバーやデュルケームを、読んだことがない。ブルデューやギデンスにも、目をとおしてこなかった。まあ、名前ぐらいは聞きかじっているが。
そんなあなたは社会学者じゃないし、そうとりあげるマスコミはまちがっている。あなたのような人とはいっしょにされたくないから、自分たちは西洋の理論を学んできた。学生たちにも、井上みたいなやり方はまねるなと言っている。私は、社会学畑の人から、面とむかって以上のように言われたことが、何度となくある。
いっぽう、著者は言う。「『社会学』というのはしょせんちょっとばかり理屈っぽい世間話」でしかない。「こういう話があるよ……ああそうかい、勉強になったよ」。そんなやりとりにこそ、社会学の要諦はある、と。西洋の理論をありがたがりすぎるのは、明治期の学問受容がもたらした弊風であるらしい。
世間話に淫した私の本なども、この著者なら社会学の仕事だとみなしてくれるのだろうか。まあ、今さらそんなことは、どうでもいいのだけど。