政府は「新元号」の発表時期を、代替わり直前の2019年4月と定めた。平成との“二重権威”が生じるのを防ぐため、ぎりぎりまで遅らせることにしたという。改元は、歴史の転換点という位置づけなのである。
だが実は歴史を振り返ると、元号は今ほど大事にされておらず、“えっ、そんな理由で?”と思ってしまうような改元が繰り返された時代があった。著書『「日本の伝統」の正体』が話題を呼ぶ作家・藤井青銅氏が、元号にまつわる“ざんねんな歴史”を詳らかにする。
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元号がなかった時代や空白期間は暦を「十干十二支」で表わしていた。
中国伝来だが、「十干」とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸、「十二支」とは子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、この2つを組み合わせた。例えば、1年目は「甲子(甲のネズミ年)」、11年目は「甲戌」、60年目は「癸亥」と60年で一周する。これが還暦である。
これの58年目に「辛酉」(辛のトリ年)があるが、平安時代に文章博士の三善清行が、「中国では、辛酉の年に天下がひっくり返るといわれている」と唱え、縁起が悪いので「辛酉」の年は必ず改元することになった。
ほぼ同じ理由で、1年目の「甲子」の年も改元することに。1番目と58番目だが、60年周期なので3年しか離れていない。