こじれにこじれた日大「悪質タックル問題」。そもそもは、日大フェニックスvs関学ファイターズという、大学アメフト界の両雄による“伝統の一戦”で起こった出来事だった。日大と関学の定期戦は、言ってみれば野球における“早慶戦”のようなもの。互いに認め合うライバル校同士の特別な一戦だったはずが、日大の不誠実な対応に、関学側がついに定期戦を中止するとの絶縁状を突きつけるに至った。実は、元祖「伝統の一戦」にも異変が起きている──。野球以外でもありとあらゆる場面で繰り広げられている早慶戦。昔ながらのイメージだけで両校をとらえていると、今や「えっ?」と驚くような事態になっているのだ。『早稲田と慶應の研究』(小学館新書)を上梓したオバタカズユキ氏に聞いた。
──「慶應と言えば経済、早稲田と言えば政経」という常識は、もう古い?
オバタ:半分ネタとして語られているようなところもあるが、学生の中には学部ごとの階級意識が確実に存在する。その「学部ヒエラルキー」の順番が、昔と今ではずいぶん変わった。慶應でいえば、医学部はずっと別格だが、それ以外の一般学部の中で、今もっともエライとされているのは、法学部政治学科。かつては「あほう学部お世辞学科」とも言われていたが、その呼び方はもはや死語。30年くらい前は、「経済学部→法学部法律学科→法学部政治学科→商学部→文学部」の順番で、「大看板」の経済学部は、絶対王者の地位に君臨していた。
それが、今の慶大生たちの中では、「法学部政治学科→法学部法律学科→経済学部→商学部→文学部」という階級意識になっている(SFC=環境情報と総合政策、理工、薬学、看護医療は「別大学」扱い)。「法律学科のほうが政治学科より上」とする学生もいるが、法学部がトップであることには変わりない。「あほう学部」と揶揄されていた時代とは、隔世の感がある。
──早稲田では「政経にあらずんば早稲田にあらず」とも言われていたが。
オバタ:早稲田の看板は今も政経学部だが、昔ほどの威光はない。エライのは「一般入試組」に限られる。学部ヒエラルキーは慶應よりも大きく変化した。出世頭は社会科学部(社学)だ。長く夜間学部だったため、「他学部には落ちたが、夜学でもいいから入りたい!」と熱望する“早稲田命”な若者たちの受け皿学部と見られてきたが、昼間学部になって一気に何段抜きかの昇格を果たした。かつて「♪社学のシャシャシャ~」と「おもちゃのチャチャチャ」をもじって揶揄されていた時代とは大違いだ。入試偏差値もぐんと上昇し、今や第2エースの法学部と肩を並べている。理工を除く大学全体の学部ヒエラルキーは、「政経→法…………教育」が最近の定評。間に入る学部(国際教養、社学、商、文、文化構想)の位置づけは人によって意見が分かれる。人間科学部とスポーツ科学部は、所沢キャンパス開設当初から「別大学」扱いだ。
──早稲田と慶應、両方受かった時の進学先の選択にも変化が?
オバタ:早慶ダブル合格者の進学先を比べてみると、親世代と今の若者世代とで選択の仕方が大きく変化していることがよくわかる。
1980年代には、早慶どっこいどっこいか、学部によっては早稲田が優勢だった。当時の受験生はそう記憶している人が多いのではないか。それが、今では同系統の学部のダブル合格の場合、慶應を選ぶ受験生のほうが圧倒的に多いのだ。早慶の「逆転」は1990年代の後半に起きている。バブル崩壊後の「超就職氷河期」の影響が大きいが、マスコミの論調や社会状況を背景にした若者の意識の変化が面白い。その後、人気を取り戻した早稲田の学部もあるが、早慶ダブル合格ではいずれのケースも未だ慶應を選ぶ受験生のほうが多い。