スカーレット・オハラの破天荒な生き方や、レット・バトラーとの恋──。多くの人々の心をときめかせ、人生を励ましてきた名作『風と共に去りぬ』が誕生して80年あまり。生きづらさを抱える現代の女性に、ふたたび彼女の強さやしたたかさを届けたい、と作家・林真理子さんが筆を執った。
原作をもとに新たな視点で描いた超釈小説『私はスカーレット』が文芸誌「きらら」6月号からスタートし、早くも話題になっている。この度、宝塚歌劇団でスカーレット役を演じた龍真咲さんと対談。2人の運命を変えた作品の魅力について語り合った。
龍:林さんが『風と共に去りぬ』をリメイクした『私はスカーレット』の連載、読ませていただきました。
林:ありがとうございます。『1789』の舞台の最中でお忙しいのに。
龍:1話目からもうすごくワクワクさせられて。本当に面白かったです。私も宝塚時代には『風と共に去りぬ』のスカーレット役を演じさせていただいたことがあるのですが、当時を思い出しました。あの頃にこの作品を読めていたら、役作りがもっと楽になっていたかもしれません(笑い)。
林:龍さんがスカーレット役をおやりになったのは、月組のトップスターになってから?
龍:はい。トップになって2年目、2014年の公演が最初で、翌年にも上演させていただきました。実は、私が宝塚に入ろうと思ったきっかけは『風と共に去りぬ』なんですよ。
林:えっ! どなたの舞台をご覧になって?
龍:小学生のときに、母に連れられて観に行った初めての宝塚が『風と共に去りぬ』だったんです。天海祐希さんがレット・バトラー役を演じられていて。そのたった一度の観劇で、宝塚歌劇という素晴らしい世界に魅了されてしまったんですね。行きの電車では「宝塚ってなに?」という感じだったのが、帰りの電車では「宝塚に入る!」と決意していました。
林:でもご両親から反対されませんでした?
龍:母は応援してくれたのですが、父からはずっと大反対されていました。もしも不合格だった場合、10代の早いうちに私が挫折を味わってしまうことを心配していたようで。あとはやっぱり、周囲に芸能関係の知り合いなんて誰もいませんでしたから、どんな世界なのかわからない怖さもあったようです。入団後も、父からは事あるごとに「もうやめろ」と言われていました。
林:晴れて合格した後も? じゃあお父様の理解を得られたのはいつ頃でしたか。
龍:入団して数年が経って、私がトップになれるかな、というくらいの時期にはようやく諦めたみたいで。その頃になると「頑張ってね」と応援してくれるようになりました。