「賛否両論」は、昨今のヒット作のキーワードだろう。フォロワーもアンチも巻き込んで大きなうねりが発生した時、その作品はヒットの称号を得る。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が注目のドラマについて指摘する。
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遠くまで見わたせる海。背後のボケ味が美しい。船、漁港、市場とロケを多用した匂いたつようなシーン。まるで額縁の中の絵のような映像を背景に、しかしピリピリと漂う緊張感。ドラマ『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』(フジ系木曜)がいよいよ今夜9時、拡大版2時間となって最終回を迎えます。
このドラマ、「異色作」と呼んでもよいのではないでしょうか? あるいは、視聴者が試される「リトマス試験紙」とも。なぜなら、ザテレビジョンの視聴熱調査やテレビウォッチャーの満足度調査では高得点を叩き出し、満足度は回を追うごとに上昇し絶賛される一方で、「ずっこけドラマ」などと極端な酷評も見られるからです。こうもくっきりと評価が分かれるドラマも珍しい。
いったいこの分裂、何に由来しているのでしょうか? このドラマは何を浮き彫りにしているのでしょう?
原作は19世紀のフランス小説『モンテ・クリスト伯』。日本では『巌窟王』で知られる復讐の物語。その屋台骨の「復讐」という筋は保持しつつ、ディテイルは大胆な翻案によって現代の日本に置き換えられています。
主人公は、片田舎の小さな漁港で漁師をしていた柴門暖(ディーン・フジオカ)。ある日、テロリストとの関係を疑わわれ逮捕されてしまう。結婚直前の幸せを破壊され奈落に落ちる。15年間も監獄に幽閉された後、柴門は脱出に成功。大金を手に名前を変え、「モンテ・クリスト・真海」という別人物として戻ってくる。自分を陥れた人々に復讐するために。
そのモンテ・クリスト・真海の姿は……口髭、きっちりとなでつけた髪、スーツ。豪邸に住むシンガポールの大富豪であり投資家。日本語を話すけれど、どこか英語なまりの語尾。うさんくさくて浮き世離れしていて、背後に何かを隠していそう。
徹底的にキッチュな役柄で「作り物」の面白さを際立たせています。そんな「モンテ・クリスト・真海」の存在をめぐって、視聴者の反応が四分五裂。キッチュな作り込み感が面白い、柴門がモンテ・クリスト・真海を演じる二重性を「フィクションならでは」の醍醐味と感じて楽しむ人もいる。その一方、不自然だと全否定する意見や拒否反応を示す人も。
特に視聴者の間で議論になったのは、「柴門暖が姿を変えモンテ・クリスト・真海として現れた時、誰もその正体に気づかないのはオカシイではないか」という点(正確には元婚約者のすみれだけは最初から気付いていた、という解き明かしがされる)。演出担当の西谷監督は、ディーン・フジオカさんに正面から二役を演じさせた理由についてこう語っています。
「整形したのかとか昔はすごく太っていたのかとか、それを特殊メイクでやろうとかそういうのをいろいろ考えました。だけど、それも全部小手先だし、見る人にとっては同じ役者さんだってわかってるわけだし、そこは堂々といけばいいと思いました……意外と人間って他人のこと覚えてないなと思って」(西谷弘監督「マイナビニュース」2018.6.7)
西谷監督のコメントで最も興味深いのは、「意外と人間って他人のこと覚えてない」。よく考えるとたしかに、そういう側面はあるかもしれません。