“悪質タックル騒動”のなかで日本大学という組織の奇妙な構造が明らかになった。なぜ、相撲部監督が理事長にまで上りつめたのか。なぜ、アメフト部監督が人事を握る実質ナンバー2の常務理事となり、今なお、曖昧なかたちでしか責任を問われていないのか。
権力体制のルーツは学生運動の時代に遡る。1968年、日大に20億円もの使途不明金が発覚したことから、学生や父母が古田重二良(じゅうじろう)会頭(故人)を追及し、全理事の退陣を求める運動に発展した。その時、古田会頭が用心棒として重用したのが柔道部、相撲部、アメフト部といった体育会に所属する学生たち。彼らは4000人の全共闘学生に対し、わずか300人で互角に渡り合ったという。この頃、日大の相撲部4年に前年の学生横綱のタイトルを獲得していた現在の理事長、田中英壽氏がいた。
“相撲部のスター”だった田中氏が大学トップの理事長まで昇格する過程について取材を進めると、その出世にも「運動部」が絡んでいるという証言を得た。元理事のX氏が明かす。
「保健体育審議会事務局の課長に過ぎなかった田中氏が出世するのは、1996年に始まる瀬在幸安総長の時代。総長選の頃から瀬在氏に接近した田中氏は、その後6年という短期間で、常務理事にのし上がる。“3段跳び”という見たこともない異例のスピード昇格でした。
この時に田中氏は、34部ある体育会を権力獲得のツールとして利用するためか、将来の学部長になり得る教員を、運動部の“部長ポスト”にスカウトして取り込むことを繰り返したのです。医学部長だった瀬在氏も、競技経験ゼロなのに相撲部長に迎え、結果として後の総長との接点を作ることに成功した。今のアメフト部の加藤直人部長(副学長・文理学部長)も、アメフトの競技経験はありません」