【書評】『山本周五郎名品館I おたふく』/山本周五郎・著 沢木耕太郎・編/文春文庫/850円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
山本周五郎という筆名は、十三歳で奉公に出た質屋の店主の名前で、本名は清水三十六という。二十三歳のとき「文藝春秋」に処女作「須磨寺附近」の原稿を投函するとき、住所氏名欄に「木挽町山本周五郎方、清水三十六」と書いたところ、係の編集者が間違って、作者山本周五郎と印刷してしまった。以後訂正せず、そのまま筆名としたところに周五郎の周五郎たる所以がある。
周五郎の小説には登場人物へのあたたかな目差しがあり、日のあたらぬ吹き溜りに身をよせる人々の人情話にズンと胸をつかまれる。どの小説もジンワリと心にしみて、一冊読むと二冊、三冊と読みたくなる。多種多様の人間を自在に書きわけてみせ、読みやすく、文章が自然体である。どの話にも伏線と仕掛けがある。
生涯膨大な数の短編を書いた周五郎の作品群から、沢木耕太郎が選んだ九編が第一巻『おたふく』に収録された。第二巻『裏の木戸はあいている』にも九編。後続の第三巻、第四巻は六月、七月に刊行される。
沢木耕太郎は、ルポルタージュやドキュメントで「ニュー・ジャーナリストの旗手」としてデビューし、『キャパの十字架』『キャパへの追走』が評価された。七十歳になった人気作家だが、一巻には二十五ページ、二巻には二十三ページにわたる熱烈解説エッセイを書いている。