森友問題以降、社会を騒がせる数々の問題に通底するのはウソや改ざん。チームにとって絶対的存在だった日本大学アメフト部・内田正人前監督の発言、財務省幹部だった佐川宣寿氏の改ざん指示問題など、政治や社会の中で枚挙にいとまがない。
そんな社会にもう希望はないのだろうか? ウソがウソを呼び、ごまかしがさらなるごまかしを招く。しかも、誰も悪びれもせず、逆に組織を守ったと礼賛されるとしたら、私たちの信じてきた善悪はひっくり返ってしまう。お寺の長男として生まれ、幼い頃から「信仰」は身近に。仏教に留まらず、他宗教や哲学にまで精通する知見から、この社会の光、救いを作家で僧侶の玄侑宗久さんに聞いた。
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トランプ大統領の時代になり、世の中が急速に「フェイク」化しているのは確かだと思います。こうした時代の流れは、私はIT機器の発達と無関係ではないと思います。大統領がTwitterで呟くなど、考えられないことでしたが、SNSという手段そのものが、大統領選挙のときからウソ情報を流すことに貢献してきました。
顔も見えず、発信元もわからない無数のウソ情報の中で、われわれは今生きているような気がします。日本人の「誠実」や「勤勉」が失われたというより、これはnet toolを使うあらゆる人々が世界中で直面している現象ではないでしょうか。
現実に日々向き合う人々にそのような不誠実を感じることは殆んどありません。確かに森友・加計問題や財務省の文書改ざん、防衛省の日報隠しなど、政治や行政においても民主主義の危機と思えることが連続して起きています。財務省の組織的な「ごまかし」については、大阪地検特捜部の起訴を期待していたのですが、それも不起訴。
こうなると、組織を守るための「忖度」を見せつけられたようで、司法まで信じられなくなります。やはり同じ政権が続きすぎると、弊害はいろいろ起こりますね。
日大アメフト部の元監督や元コーチを見てもわかるように、組織を守って「勝つ」ための論理は、恐るべきものです。
組織を健全に保つというのは、本当に難しいことだと思います。どんな個人も、集団のために「滅私奉公」の心がけを持つことは時に必要です。たとえば町内会の川掃除とか、嫌でも出ていった方がいいでしょう。
しかしその集団が大きくなり、権力を持った組織になると、そういった「奉公」が文書改ざんや日報隠しになったり、いわば犯罪的なウソも「奉公」に混じってくるわけです。