江戸時代と違って、いまの日本に「階級」はないと言われてきたが、最近はそうでもないらしい。評論家の呉智英氏が、古典的な階級社会とは異なる現代的階級社会の出現について語る。
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二〇〇九年に出版された加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、現新潮文庫)は、翌年小林秀雄賞を受賞し、今なお読み継がれている。私も当時読んで得るところがいくつかあった。その一つは、歴史に関してではなく、教育についてだ。
本書は、書名通り日本近代の戦争を論じたもので、生徒相手の討議をまとめた講義録である。加藤は東大教授だから、生徒相手はおかしい、東大に学生はいるけれど生徒はいないはずだ、と思う読者もあろうが、生徒でいい。某名門中高一貫校の生徒を相手にした特別講義なのだ。この討議が驚異的である。
加藤が質問する、「華夷秩序ってわかりますか」。生徒「朝貢と同じ?」。加藤「大体わかってますね」。別のところで加藤が問う、「日清戦争後、国内の政治で何が最も変わったでしょう」。生徒「『アジアの盟主としての日本』という意識が国民に生まれた」。加藤がうなずいて「そうです」。
繰り返すが、受講生は大学生ではない。中高生だ。中学生も含まれている。この講義は夏休みに催されているから、最年少の生徒は四か月前までは小学生だった。
華夷秩序と問われて朝貢と答えられる大学生が日本中にどれだけいるか。私が教えたことのあるFランクの大学では、八画以上の漢字が書けない学生がクラスに二人いた。当然、華も秩も貢も書けないし、そもそも「かいちつじょ」も「ちょうこう」も知らない。
中学生の段階で人種が違うほどの差がついているのだ。