◆そこで男女が出会えるか?
特に成功を収めていたのが、明治6年(1873年)に「人口日本一」に輝いた愛知県です。徳川家の城下町であった尾張は『尾西織物』というブランドで知られた繊維産業の中心地でした。その後も、「求人が多い産業県」としてのアピールは、「トヨタの企業城下町」となった現在にも連なっていると言えるでしょう。
逆に明治初期から“没落”したのが新潟県です。江戸時代から北前船などで裏日本の中心として人の往来が活発でしたが、人口が増えるには経済が安定して回っていくことが必要条件。それには農村工業が根付き、米以外の特産品があることが重要です。新潟には農業以外の産業があまりなかったため、時間が経つにつれ他の大都市や工業地帯を抱える地域に追い抜かれてしまった。
何より人口増で大事なのは、幕末の江戸や明治中期の大阪のように、出生率を上げることです。若い人向けの仕事がある場所は当然、男女が出会いやすく、出生率も高くなります。こうした好循環の波に乗れるか否かは人口競争を勝ち抜く上で、今も昔も重要なポイントなのです。
※週刊ポスト2018年6月29日号