5月13日、高知県立県民文化ホール・オレンジホール。この日、鍵盤を軽やかに叩いていたのはピアニストの野田あすかさん(36才)だ。
1982年に広島県で生まれたあすかさんは、父・福徳さん(68才)と母・恭子さん(66才)、2才年上の長男の4人家族。女の子がほしくてたまらなかった福徳さんは、長男が生まれてすぐ「次は女の子だ」と名前を考えた。
「言葉の響きが未来に広がるイメージから“あすか”という名前に決めました。心の優しい子に育ってほしくて、漢字ではなくひらがなにしました」(福徳さん)
父の願いとともに生まれた女児は3480g、泣き声も大きく元気な子だった。しかし、両親がイメージ通りの幸せな未来を思い描くには、彼女にはあまりにも大きなハードルがあった。
◆言われたことは「その言葉通り」にする。相手の表情や態度を読むことができない
最初に“ちょっとおかしいのかな”と感じたのは、1才6か月健診の時だった。周囲の子は1人で歩けたが、あすかさんは誰かと手をつないで歩くのがやっと。心配した恭子さんが「どこかおかしいですか」と保健師に尋ねると、「運動機能の発達が少し遅れているだけです」と言われたので気にしなかった。
成長するにつれて、あすかさんはさまざまな「個性」を発揮するようになった。
「誰かに言われたことはその言葉の通りに守る子で、デパートで親戚から『お手洗いに行くから荷物を見ていて』と頼まれると、その荷物を知らない誰かが持ち去るまでずっと見ていました。小学校の先生から『ご飯とおかず、おみそ汁を順番に食べなさい』と言われた時は、みんなが食べ終わっても延々と“三角食べ”を続けて、『まだ食べ終わらないの』と叱られました。でもあすかには、なぜ叱られたのかわからないんです」(恭子さん)
先生から校庭の草むしりを頼まれると、チャイムが鳴り終わっても一生懸命に草を抜き続けた。数々のユニークな言動に、小学校を卒業する時にはクラスメートから「天然で賞」を贈られた。
「ほかにも、相手の表情や態度、場の空気などを読むことができず、いろいろと奇妙な言動がありました。彼女は小さい頃から“みんなと違う”ことにとても悩んでいたようですが、私たちは“感受性が強く個性的な子だ”と思い込んでいました」(福徳さん)
そんなあすかさんが2才の頃から打ち込んだのが音楽だった。最初はオルガンから始めて、鍵盤ハーモニカやエレクトーンに熱中。自分が興味あるものには、すさまじいまでの集中力を発揮した。